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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2011年01月17日

阪神大震災16年目

16年前の震災の夜はとても寒かった。
自宅が全壊したため近くの神社で野宿となったのですが
焚き火の周りにいたにもかかわらず、朝になると横においていた
お茶碗の水が凍っていました。
今年の1月17日もとても寒く、当日を思い出します。

今日調査に行った建物は樋が壊れており、大きなツララができていました。


  


Posted by 建築士1号 at 21:57Comments(0)阪神大震災

2009年01月17日

阪神大震災14年目

今年も、1月17日がやってきました。
14年経っても、当日の記憶が鮮明に残っています。

写真は、私の通っていた中学校北側のマンションです。
このマンションは2階が潰され、先輩のご両親が亡くなりました。

今年は、仕事上の体制が整い、このような鉄筋コンクリート造などの
耐震診断、改修計画策定の対応ができるようになりました。

震災の怖さだけを伝えるだけではなく、地震の被害を少なくする活動を
行うことが重要であると感じています。

  


Posted by 建築士1号 at 23:52Comments(0)阪神大震災

2007年01月18日

阪神大震災 被害状況2

1月17日の朝はそれほど寒くなかったように記憶しています。実家に着いて1階がなくなっているのにびっくりしました。付近には両親の姿も見えず大声で探していると、近所の方が「中にいますよ、無事みたいです。」と教えてくれました。 まだ家の外に脱出できていなかったのです。

低くなったバルコニーから家の中に入り、2階一番奥の部屋から両親を救出しました。
余震が続く中、近くの駐車場に避難して、周りを見渡すと多くの家が倒壊しひどい状態だったのです。
余震の合間をぬって家の中から服と靴を取り出して両親を着替えさせました。

とりあえず 過ぎ近くの神社に避難しました。
少し落ち着いたところで、水や食料の調達に行きました。すでにオニギリなどはなくなっていましたが、お菓子と2リットルのお茶6本を手に入れることが出来ました。

その後、近くに駐車してあったトラックから大きなバールをお借りして、中央区の嫁の実家へ自転車で救出しに向かったのです。道には瓦が散乱し、いたるところで火災が発生しており、険しい道のりでした。

王子公園を過ぎた辺りから、山手幹線より北側の地域は被害が少ないようでした。
新神戸駅近くにある嫁の実家は無事でした。

(地震の教訓)

 1. 情報を得られるように電池式のラジオが必要。
 2. 就寝中、メガネは壊れないところにおいて置く。
 3. 大事な書類や家、車の鍵は潰れにくい2階へおいて置く。
 

写真は私が住んでいるところに建っていた軽量鉄骨の家です。
1階がガレージで大きな開口が多く、地震で倒壊しました。
1階に子供が寝ていたのですが、無事救出されました。

  

Posted by 建築士1号 at 12:02Comments(0)阪神大震災

2007年01月17日

阪神大震災 被害状況

12年前の1月17日、私の実家は全壊しました。

私は実家近くの賃貸マンションに住んでおり、毎日京都に仕事に行くために5時半に起きてました。
当日の朝はそれほど寒くなかったので、食事した後、コタツから出て生後6ヶ月の長男を見に行こうと立ち上がった瞬間、「グラッ」と揺れました。

次の瞬間、轟音と共に家が揺れ、立ち上がっていた私は隣の部屋まで飛ばされたのです。
電気は一瞬にして消え、マンションの非常ベルがなっていました。
揺れがおさまり、部屋の中を見ると、家具や食器が散乱して足の踏み場もありませんでした。

まだ暗い中、玄関ドアを開けると強烈なガスの臭いがし、かなり危険な状態であると感じました。
すぐに嫁と一緒に子供を抱えて、崩落しているJRの下をくぐって実家に行ったのです。

電柱が折れ、電線が顔の高さにある中で実家を見ると写真のように1階がなくなっていました
左端が私の実家です。


  

Posted by 建築士1号 at 16:37Comments(2)阪神大震災

2007年01月16日

阪神大震災

明日 また 阪神大震災の発生した1月17日が来ます。
私は当時震度7の地域であった神戸市東灘区に住んでいました。
12年経った今でも、前日16日の夕方からの状況をよく覚えています。

ここ最近は地震関連の番組やニュースが多いようです
どこかの大学の先生や、キャスターがいろんな話をしていますが、私にすれば何の説得力も無い話が多いです。 話をしている人のほとんどはこの地震を被災地の真中で体験していないので当たり前ですよね。

特によく言われてるのが 「大きな揺れを感じたら、ストーブやガスコンロなどを消して・・・・」
大きな地震が来ると、一瞬で体が飛ばされます。 火なんか消せるわけがありません。
「机の下に逃げて・・・・」 机ごと家に押しつぶされますよ。

さて 私が木造住宅に住んでいる人にアドバイスするなら「出来るだけ上階に逃げてください」です。
木造住宅では1階が潰れやすいのです。実際、2階のみが潰れた家はほとんど無いと思います。
いま、仕事で話させていただく人には、「寝室も2階以上の階にしてください」と言ってます。

12年前の16日は午後11時ごろには就寝していました。
いまだに16日の夜、ちょっと寝るのが怖いですね。
あるはず無いのに 「また起こるのでは・・・」と考えるのです。
これをトラウマというのでしょう。

今夜はもう少し仕事します。


  

Posted by 建築士1号 at 22:01Comments(0)阪神大震災